観艦式って、軍事パレードってことだけど、
今の日本でもOKなん?
ってか、今では自国民の海軍に対する理解を深めることが
主要な目的である。なんて事らしい・。・;
以前では、日本における観艦式の起源は、明治元年3月26日(1868年)に大阪の天保山の沖において行われたものである[1]。この時は、明治天皇が陸上から観閲し[1]、受閲艦艇は日本の6隻及びフランス海軍の1隻で、受閲艦艇の総指揮官は旗艦電流丸(佐賀藩)に座乗した石井忠亮海軍中佐であった。
その後、1878年(明治11年)に当時の海軍卿川村純義が、海軍の本体である艦隊そのものを天覧に供することで海軍の進歩を図るべきと、太政大臣三条実美に上申し、その結果、1890年(明治23年)に神戸沖で実施された「海軍観兵式」が近代海軍としての観艦式の始まりである。その次の1900年(明治33年)の式からは名称も「観艦式」となった。1900年から1908年(明治41年)まで御召艦(おめしかん)に選ばれた装甲巡洋艦「浅間」は、日本海軍の観艦式で最も多数回、御召艦に選ばれた軍艦である。
戦前には、観艦式は明治元年に天保山沖で行なわれたものから数えて全部で18回[2]行なわれた。特に、1905年(明治38年)の東京湾凱旋観艦式(日露戦争凱旋観艦式)と、1928年(昭和3年)の昭和天皇の即位の大礼に伴う観艦式は、連合艦隊に加え、外国の軍艦も参加する盛大なものであった。
なんて事だけど、今ではちょと違った流れになって来てるのも
致し方無いかなぁ~(^_^;)
って、隣国との揉め事でちょっと興味を持って調べてみました。
資料は何時ものWikipediaから参照です(^^ゞ
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